それは、蒸し暑い夏の夜のことでした。寝苦しさから夜中にふと目を覚まし、水を飲もうとキッチンへ向かったのです。ぼんやりとした意識のまま電気をつけると、視界の端に黒くて長い何かが壁を這っているのが見えました。「…?」最初は髪の毛か何かのゴミかと思いました。しかし、次の瞬間、それが尋常ではない数の足を持ち、驚くべきスピードで動いていることに気づいたのです。ゲジゲジでした。それも、今まで見た中で最大級のサイズ。体長は数センチほどでしたが、その異様に長い足を含めると、手のひらくらいの大きさに見えました。壁を縦横無尽に駆け巡るその姿は、まるで悪夢の一場面のよう。私の心臓は早鐘のように打ち鳴り、全身の血の気が引いていくのを感じました。声を出そうにも、喉がひきつってうまく声が出ません。ただ、その場で凍り付くように立ち尽くすことしかできませんでした。早くなんとかしなければ、寝室に入ってきたらどうしよう、そんな恐怖だけが頭の中をぐるぐると駆け巡ります。しかし、どうすることもできないのです。殺虫剤を取りに行く勇気も、何かで叩き潰す勇気も、その時の私にはありませんでした。数分だったのか、あるいはもっと長かったのか、時間の感覚も曖昧になるほどの恐怖の中、ゲジゲジは壁の隅にあるわずかな隙間へと姿を消していきました。ようやく体が動くようになった私は、震える手でキッチンの電気を消し、寝室へ逃げ帰りました。その夜は、もう一睡もできませんでした。壁や天井にゲジゲジの幻影が見え、わずかな物音にもビクッと反応してしまう始末。翌朝、改めて昨夜ゲジゲジが消えた隙間を確認しましたが、そこには何もありませんでした。あの遭遇以来、私は家の隙間という隙間を徹底的にチェックし、塞ぐようになりました。ゲジゲジは益虫だという知識はあっても、あの夜の恐怖体験は、私の心に深く刻み込まれています。今でも、夜中にふと物音がすると、あの黒くて足がたくさんある虫の姿を思い出して、背筋が寒くなるのです。家の中で足がたくさんある虫に出会うのは、本当に心臓に悪い体験です。